狂戦士!双極性ソルジャ-!!

双極性感情障害と戦う45歳の戦士です!!寛解を目指して一歩一歩前に進んで行きたいと思います。皆様も一緒に戦いましょう!!希望と勇気を持って明日を生きていきます。信じれば必ず夢は叶います。諦めないという事を大事にしていきたいと思います。

令和に働くという事とは?私の歩いてきた道!

 

 

どうも、双極性ソルジャ-のヒロです!

 

今回は「働く」について私見

述べて行きたいと思います。

 

「社内ニ-ト」の私が偉そうな事は言えないのですが、

昨今の働き方を見ると大変、恵まれている様に

思いますね。私が社会に出た二十数年前と比較すると

天と地ほど違います。

 

ネットやニュ-スなどでよくブラック企業の話が

出ていますが、ブラック企業?どういう括りで

ブラック企業って決め付けるの?なんか基準が

定められているの、国が認定でもしているの?って

いつも思ってしまいます。

 

ブラック企業のイメ-ジとして、

労働時間が長い、休みが取れない、ノルマがきつい、

仕事量が半端ない、給料が安い、人間扱いされない、

パワハラが横行している、

など、色々な事が上げられると思います。

 

中には上記の様な事が積み重なり、

それに耐えられなくて自ら命を絶つ、

そういったニュ-スもよく耳にします。

 

そうなる前にどうして会社を辞めなかったのだろう、

誰かに相談する事は出来なかったのだろうか、

「命を絶つくらいなら、全てを捨てれば良かったのに」

と思いますが、恐らく私と同じで精神状態が

普通ではなくなってしまっていたのでしょうね。

追い詰められ、精神がおかしくなるとパニックになり

思考も働かず何も出来なくなりますからね。

 

ちなみに私も若い頃は大変苦労しました。

 

1996年、入社して3年間は大手量販店に

修行の為、出向に出されました。所謂、「人柱」です。

 

準備、片付けを含め朝8時から夜9時半までの勤務で

もちろん対面販売なので立ちっ放しです。

お昼休憩は40分、小休憩は夕方20分。

 

お昼と言っても朝9時半、お店のオ-プンと同時に

「はい、昼飯行ってきて!!」と。順番に回す為です。

売場でも一番下っ端なので文句も言えません。

 

お昼は毎日朝9時半。ランチはおろか

もちろん普通のお店は開店してないので、

毎日、24時間営業の牛丼屋へGO。

5分で食べて残りの35分は、

ドト-ルコ-ヒ-で時間潰し。

 

夕方、店が混む前の5時頃、立ち食い蕎麦屋に行って、

かけそばを急いで食べて速攻で売場に戻る

 

夜9時に閉店し9時半に店を退勤して、

超満員電車で家路へ。寮の最寄り駅に10時半前に着き、

毎日、コンビニでお弁当と発泡酒を買い、帰宅。

風呂に入り、夕食を済ませ、12時前には就寝。

 

朝6時起床で支度をしてお店へ超超超満員電車で出勤,

あまりにもギュウギュウで体が浮いていましたね。

 

毎日、これの繰り返し。休みは火曜日と金曜日。

これも売り場の都合です。先輩方の遊ぶ予定によって

変わります。まぁ、週休2日あったのでマシですけどね。

 

連休なんか3年間で一度もなかったし、

休日は疲れて、寝てる事が多く、最低限度の生活。

一日、12時間労働で月22日働いても

料は手取りで17万円ぐらい。ボーナスも雀の涙。

寮で家賃が安かったから生きていけたけど、

全ての面で地獄の日々でした。

 

よく当時の週刊誌とかでも出てましたが、

今で言うパワハラ全開」で、商品を販売してないと、

休憩も貰えなかったり、裏に呼び出されて恫喝されたり

本当に人間として扱って貰えませんでしたね。

 

イジメなんて当たり前だし、一番若いので先輩達に

理不尽な事もたくさんされた記憶があります。

 

出向が終わり、本社に戻れて晴れてル-トセ-ルスに

なりました。これまでの努力が報われて26歳の時に

「係長」に昇進しました。と言っても名ばかりで

給料はほとんど上がりませんでしたが・・・・。

 

ちなみに主査(専門職1級・部下のいない課長)に

なったのは41歳、15年も昇進しなかったんですよね、

自分の能力の無さではなく、ただ、上司が無能でした。

 

係長になり、仕事の量は莫大に増え、担当も

広域量販店の本部と店舗を担当する事になりました。

 

東京、埼玉、神奈川、群馬、千葉、栃木、

山梨、長野と広いエリアを一人で受け持ち、

車で朝7時頃、営業に出かけて夜の8時ぐらいに帰社し、

それから社内業務を行い、10時半ぐらいに帰宅。

車の運転で疲れ、夕食も採らずにそのまま就寝なんて

こともしばしばありました。最悪だったのは、

「明日やれ、これから飲みにいくぞ」と当時の部長に

毎日、無理やりスナックに飲みに連れて行かれた事です。

朝起きて、まず私がやる事は、トイレに行って

ゲ〇を吐くことでした。日課になってましたね。

 

思い出に残ってるのは、

自宅の洗濯機の調子が悪く、夜、仕事が終わった後、

コインランドリ-に行き洗濯し、待っている間に

眠ってしまい、気がついたら朝だった事もありました。

もちろん、財布は抜かれてました。東京ですから・・・

 

あと営業中は時間が勿体無かったので昼飯は食べないか、

おにぎりを運転しながら食べるのが常でしたね。

今でも、牛丼とおにぎりは正直、

あまり食べたくありません。色々思い出しますので。

 

担当店舗数で言えば150店舗ぐらいあったでしょうか、

いやもっとだったと思いますが、よく他のメ-カ-の

営業さんに「ヒロさん、ドMだね、そんなに

担当店舗持ってるなんて」って言われた事もあります。

もちろん好きで担当していた訳ではありませけどね。

 

当時の上司がこれまた「超パワハラ全開」で、

「24時間働いて終わらなかったら初めて忙しいと言え」

と私の人生の中でもベスト3に入る迷セリフを放った人

でした。今であれば、間違いなく問題になって処分を

受けているでしょうけどね。でも当時はそれが

スタンダ-ドだったんです。恐ろしいですけど・・・。

 

そんなこんなで2005年に、昔、出向に行っていた

大手量販店の担当になりました。

日本で最大手の法人で、昔、売場でお世話になった主任が

あるお店の店長になっており「ヒロ、ここの担当になった

という事は解ってるな、一流のセ-ルスとして

認められた証なんだぞ」との言葉をかけて貰いました。

その時は素直に嬉しかったのですが、

これがまた、地獄の始まりだったんですよね。

 

とにかく、圧力が凄いのなんの。社内、社外共に。

商談では毎回、とんでもない無理難題を言われ、

プレッシャ-が酷く、朝から晩まで重箱の隅を

つつく様な事で電話があり、土曜日曜も関係なし。

夜11、12時でも相手が用事があれば平気でクレ-ム

つけてくるし、酷い時は「今から商品持ってこい!」

って、今、夜の11時過ぎですよ。これ以上は、

あまりにも内容が辛辣過ぎて

ここでは表現できないので、割愛させて頂きますが、

ノイロ-ゼになってもおかしくなかったですね、

とにかく人間らしい生活が出来ませんでした。

 

私が海外に行く様になったのは、現実から逃れたい為

だったんだと今では思います。電話も繋がらないし、

異国の風景の中にあの恐ろしい看板もありませんしね。

 

電話で思い出しましたが、

また、人生でベスト3に入る迷セリフが出てきます。

 

この時、あまりにも電話が多くて、

嫌気がさしたので、ある日、電話が鳴っても

無視してたんですよね。そしたら次の日、

えらい剣幕で怒鳴ってきたんですよ、こんな風に・・・

「なんで電話に出ねえんだよ!!携帯って漢字、

知ってるか、携帯電話って常に携帯しているから

携帯電話って言うんだろうが!!!お前、そんな事も

わかんねぇのかよ!!!馬鹿か!!はぁ?」と。

 

とにかく人間としての尊厳は全くありませんでした。

会社も上司も助けてくれず、いつも矢面に立たされて、

全身くまなくびっしりと「ストレス」という名の矢が

刺さっていたと思います。

 

この時も休みの日、毎週、店頭に販売応援に立ち、

代休だけで一ヶ月休める程、代休が貯まってましたね。

休んでも電話が常に掛かってくるので

休みにならないんですよ、常に神経ピリピリです。

 

悲惨でしたね。

 

ただ、ひたすら耐えました。

営業という仕事が好きだったし、

自分で選んだ道だったから。

どんな困難も自分で解決していき、

自分の進む道を切り拓いていきました。

  hiro19730730.hatenablog.com

 

結局、その法人を8年ぐらい担当しましたが、

努力の結果もあり、先方とも良い関係が築け、

売上もすこぶる好調になってきて、

 

「さぁ、これからだ!これまでの苦労が報われる。

これからが本当の勝負だ!!」

 

と心機一転で望もうとした時

 

「はい、担当交代!!」

 

2014年の春、忘れもしない3月20日

大雨で嵐の日でした。

 

いや~飲みましたね。荒れましたね。

一日で一升瓶を2本ぐらい飲んだんじゃないですかね。

もちろん、そんな事で悔しさや表現しがたい感情は

消える事はありませんでしたが。

 

出すぎたんですよね、結局。

力を付けすぎたんですよね。

 

無能な上司は面白く思うはずがありません。

日本では「出る杭」は打たれます。

 

上の決定は絶対です。サラリ-マンですから。

 

その半年後の2014年9月にこのブログを始める

きっかけとなった顔面に重度の帯状疱疹

発症しました。体が悲鳴をあげたんでしょうね。

 

hiro19730730.hatenablog.com

 

あとはご存知の通り、

後遺症の神経痛に悩まされ仕事が出来なくなり

鬱病を発症し、医者の投薬ミスで双極性障害に。

  

hiro19730730.hatenablog.com

  

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 色々と紆余曲折があり、トップセ-ルスから

現在、社内ニートになりました。

 hiro19730730.hatenablog.com

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 どれだけ頑張ろうと苦労しようと

人生って所詮こんなもんです。

 

 

私の会社は「ホワイト」です。

「ブラック」ではありません。

 

今、ネットやニュ-スを見ると

 

部下を叱ったら駄目だとか、

コンプライアンスがどうとやら、

働き方改革がなんとか、

ハラスメントは駄目ですよとか、

有給を必ず取得する事とか・・・・

 

 

そして、今の若者達は・・・・

 

会社に人生捧げるつもりはないとか、

きつい仕事はしたくないとか、

自分が好きな仕事だけしたいとか、

仕事よりもプライベ-トが大事、QOLをとか、

嫌だったら辞めて転職すればいいとか、

残業?冗談じゃないですよとか、

上司と飲みに行く?何、馬鹿な事行ってるのとか、

ちょっと何言っているのか解からないんですけどとか、

常識?どんな常識ですか?とか、

社畜になるつもりはありませんとか

セミリタイアしたい、働きたくないとか・・・・

  

 ・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

至極、真っ当な考えだと思います。

 

時代は変わったのですから。

 

 

 

もちろん私が経験した事なんて大した事ではありません。

 

もっと大変な思いをされた方は沢山いると思います。

 

でもこれ以上、辛い思いをする人が増えるのは、

本当に良くないと思うんですよね。

 

 

「令和」という新しい時代になり、常識や価値感も

大きく変わってきていると思います。

 

今の若い世代は、これからの時代を生き抜く事は

大変な事だと思います。今後、定年も65歳となり、

雇用延長で70歳まで働くと、人生のほとんどが労働で

終わってしまう可能性があります。

 

人生100年時代と言われますが、その内、健康で元気に

過せる時間は、どれだけあるのでしょうか。

 

70歳で労働から解放された後、すぐ寝たきりになり、

気がついたら、自分の人生って何だったんだろうと

思いながら余生を過していくなんて考えたくもないです。

 

日本政府は既に匙を投げており、老後は自助努力です、

死ぬまで働きましょうよと恐ろしい法案を次々に

検討してきています。

 

人生は一度きりで、有限です!

 

これから自分がどう生きて行きたいのか、

よく考えて行動する事が大事だと思います。

 

もう、私の様な人間が

これ以上増えない事を切に祈ります・・・・・

 

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 とら「僕も働いた方がいいですか?猫カフェはいやなので、モデルでもやりますかね」

 

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 次回に続く・・・・・・